第 5 章 創始者の証言 ~崔熙将軍 テコンドー史の学習~
- 創始者の証言:
- 「テコンドー・タイムズ 113 号(2000 年 1 月発行)崔泓熙総裁へのインタビューより抜粋」
1. 崔熙将軍 テコンドー史の学習
崔将軍が自らの劇的な半生について語った。日本の敗戦の三日後に死刑執行を控えていたこと、テコンドーの創設と発展。80 代にしてなお、彼は今世紀(20 世紀)の武道界において強い影響力を残し、また新世紀においても彼は武道の輝ける手本となるであろう。
崔将軍とのインタビューを理解するにあたり、極東の国々、中国・朝鮮・日本の関係を知っておく必要がある。
三つの国は地理的、文化的、そして 5000 年もの長い歴史において繋がっている。 巨大な国である中国は、朝鮮の兄であるように振る舞ってきた。
アジアの慣習に従うと、これはすなわち中国は朝鮮を保護し、外国から侵略を受けた場合はそれを助ける、ということになる。 朝鮮と日本の関係は少し違う。
初期の寺院の様式や日本の古典的学問の教育、仏教の経典などから考えると、朝鮮は日本との最も古い時代の関係において、兄のような役割を果たしていた。
日本は明治維新を通じて、三国の中で最初に西洋の文化と科学を取り入れた。天皇は政府を統御する力を回復し、彼の国民が西洋について学ぶことを奨励した。
その結果として、日本は西洋の兵器を使い、1894 年に中国を打ち負かし(※)1910 年に朝鮮を占領し、併合した。朝鮮の国民は 36 年もの間独立のために激しく戦い、第二次世界大戦の終わりにやっと勝利を手に入れた。朝鮮の国民は今日に至るまで日本人に対して憎しみを抱いている。
※1894 年、日本は日清戦争で清国に勝利した。その後、朝鮮の内政に干渉し、1910 年朝鮮を併合、植民当地を初めた。
崔将軍とのインタビューは、1998 年の 8 月 1 日と、1999 年の 2 月 27 日から 3 月 1 日に行われた。このインタビューは私の、朝鮮武道史の研究の一端である。(史学博士 キム・ヘヨン)
(※Korea の訳に関しては、1948 年の大韓民国樹立以降の出来事に関しては『韓国』、それ以前の出来事に関しては『朝鮮』と表記する;訳者註)