第 3 章    テコンドーの起源    〜テコンドー名称について


第 3 章    テコンドーの起源

1. テコンドー名称について

1945 年に日本の敗戦と共に朝鮮半島が開放されるや、それまで日本留学中に空手(唐手)を修得していた人々が祖国の地で空手/ハングル音:コンス(唐手/タンス)を普及し始めた。

中でも韓国軍の創設部隊の一員であり空手修得者であった崔泓熙陸軍少将は自らの指揮下にある師団で自らの研究開発する空手(蒼軒流)を普及し始めた。

1954 年、崔泓熙陸軍少将と副官の南太熙(ナム・テフィ)を含む第 29 師団歩兵部隊が李承晩大統領の閲兵を受け、大統領の前で空手演武を行うこととなった。

第 29 師団歩兵部隊と李承晩大統領

演武の成功を見守った後、空手を知らない大統領は「テッキョン(図参照)」と勘違いしたまま絶賛し、「この武道を全軍に普及するべきだ!」と多くの将校に向かって宣言をした。

崔泓熙陸軍少将は反日の立場を取る大統領に向かって日本の武道である空手とは言えず、またテッキョンとも違うことから自らが創始した武道であることを伝え、これを「テコンドー」と命名した。

そして、同年 4 月 11 日に崔泓熙陸軍少将が名称制定委員会を召集しテコンドーの名称が大統領令によって公式に認定された。