第 4 章    テコンドー組織発達の歴史的経緯    ~朝鮮解放後の武道界史とテコンドーをめぐる情勢〜


3. 朝鮮解放後の武道界史とテコンドーをめぐる情勢

1946 年

日本の敗戦によって朝鮮が解放された翌年の 7 月頃、ソウルの田祥燮(チョン・サンソプ), 李元國(イ・ウォングク), 尹炳仁(ユン・ビョンイン)と開城の盧秉直(ノ・ピョンジク)らが、主に散在した空手(唐手)道場等を統括し協会から結成しようと 2 次、3 次と会合を設けたが失敗し、ひとまずは朝鮮武道(朝鮮における空手)の標準の型と統一された指導方法にて合意を見た。

※ 前年の 8 月 15 日、連合国軍の勝利と共に朝鮮はついに日本の過酷な統治から解放された。

朝鮮が解放されてから、武道界ではそれぞれの武道が、国内に散在している道場を統括し、協会を作ろうとする動きが起きた。

それは、大韓体育協会に一刻も早く加盟し、武道の社会的地位を確立し、普及・奨励をしやすくためだった。(ようするに国のお墨付きが欲しかったのである)古い歴史を持つ韓国のシルム(朝鮮相撲)・柔道・剣道は、早い段階で各道場を統一、協会を設立して大韓体育協会に加わった。

しかし、空手・唐手・拳法・手搏道などのいわゆる打撃系の拳法は意志の統一がなかなか見られず、ひとつにまとまることができなかった。

これは、有力道場主の熾烈な主導権争いと、それに伴う「名称問題」のせいであった。(自分の主張する「名称」のもとに統一されない限り、自分が主導権を握れないと各道場主は判断していた)

解放後の空手競技の場   写真は青濤館館長   李元國
● 唐手道「青涛館」(チョンドグァン)

1944 年 9 月 ~ 初代館長:李元國/1926 年、19 歳(満 18 歳)当時、日本へ留学、中学、高校、大学と進学、中央大学法学部在学中に松濤館へ盧秉直と共に入門、船越義珍に師事/朝鮮戦争勃発時、軍の召集を拒み日本へ密航。

朝鮮国内最大空手(唐手)組織。青濤館の「濤」は松濤館空手の「濤」に由来し、ちなみに同門の友人盧秉直の開設した松武館の「松」も李元國と同様に松濤館の「松」に由来している。2 人が「松濤」の二文字を分けあったという説もある。

「青濤館」の分館
國武館(クンムグァン)
/仁仙、 館長:カン・ソジョン
正道館(ジョンドグァン)
/ソウル、館長:イ・ヨンウ
青龍館(チョンヨングァン)
/光州、 館長:コ・ジェチョン
吾道館(オドグァン)
/館長:崔泓熙陸軍少将(青濤館名誉館長)
主要輩出人名:
ユ・ウンジュン、孫徳成(ソン・ドクソン)、オム・ウンギュ、玄鍾明(ヒョン・ジョンミョン)、ミン・ウンシク、ハン・インスク、チョン・ヨンテク、カン・ソジョン、ペク・チュンギ、ウ・ジョンリム、南太熙(ナム・テフィ)、コ・ジェチョン、クァク・クンシク、キム・ソクキュ、ハン・チャギョ、チョ・ソンイル、イ・サマン、イ・ジュング、キム・ボンシク…
○ 朝鮮研武館空手道部

柔道傘下・1946 年 3 月 3 日 ~ 館長:田祥燮(チョン・サンソプ)/少年時代、柔道を学び以後日本留学中には空手を学ぶ、1943 年帰国後、ソウルにあった柔道場、朝鮮研武館において空手を教えはじめる。解放後は空手部を創設。 ※ 朝鮮戦争時に田祥燮が行方不明(戦死、もしくは北朝鮮へ渡ったか?)、以降、指導師範の尹快炳(ユン・クェビョン)(※ 日本国内にあった「全日本空手道連盟 錬武会」の旧名:「韓武館」の館長:尹 㬢炳 [いん ぎへい] と同一人物である/尹快炳は遠山寛賢の直系愛弟子だった。)と李鍾佑(イ・ジョンウ)によって智道館(チドグァン)と改称され 1967 年まで活動。

※ 朝鮮研武館は当時朝鮮で最も権威のあった柔道場である。

主要輩出人名:
ペ・ヨンギ、李鍾佑(イ・ジョンウ)、キム・ボクナム、パク・ヒョンジョン、イ・スジン、チョン・ジンヨン、イ・キョウン、イ・ビョンロ、ホン・チャンジン、パク・ヨングン…60~70年代にはイ・スンワン、チョ・ジョムソン、ファン・デジン、チェ・ヨンリョル…

○ YMCA 拳法部

1946 ~ 館長:尹炳仁(ユン・ピョンイン)/少年の頃満州で中国武術(名称不明)を学び、後に日本へ留学、空手を学び 5 段取得、空手家の遠山寛賢と共に武道を研究する。学生当時は日本・東京の YMCA で崔泓熙氏と共に学友達に空手を教えた。

また、解放以前に帰郷し朝鮮研武館にて田祥燮と共に武道を教えた。

後、1946 年にソウル鐘路にあるキリスト教青年会館に YMCA 拳法部を創設、解放後はキョンソン農業学校にて体育の教師となり学生たちに自らの武道を教える)、朝鮮戦争の時に尹炳仁が行方不明となり、以降は弟子の李南石(イ・ナムソク)とキム・スンベらによって章武館(チャンムグァン)と改称。

章武館分館
朝鮮講徳院(チョソンカンドグォン)
/ホン・ジョンピョ、パク・チョルフィ
韓武館(ハンムグァン)
/館長:イ・キョユン
主要輩出人名:
イ・ナムソク、キム・ソング、ホン・ジョンピョ、パク・チョルフィ、パク・キテ、キム・ジュカプ、ソン・ソクチュ、イ・ジュホ、キム・スン…
○ 武徳館(ムドックァン)

館長:黄琦(ファン・ギ)/ 1935 年南満州鉄道局に入社後「国術:クッスル」を学ぶ(自称)。

解放直後ソウル・ヨンサン駅付近の鉄道局に運輸部唐手道部を開設、1955 年、武徳館中央本館と全国 9 箇所に支部道場を新設し「韓中親善国際唐手道演武大会」を開催、1960 年「大韓唐手道協会」を独自に発足し「大韓手搏道会/テハンスバクトフェ」へと改称。

主要輩出人名:
キム・ウンチャン、ホン・ジョンス、チェ・フィソク、ユ・ファヨン、ナム・サムヒョン、キム・インソク、イ・ボクソン、ファン・ジンテ、ウオン・ヨンポプ、チョン・チャンヨン、イ・カンイ…
○ 松武館(ソンムグァン)

1946 ~ 館長:盧秉直(ノ・ピョンジク)/日本留学中、李元國と共に松濤館へ入門、船越義珍に師事。

主要輩出人名:
イ・フェスン、イ・ヨンソプ。キム・ホンビン、ハン・サンミン、ソン・テハク、イ・フィジン、チョ・ギュチャン、ホン・ヨンチャン、カン・ウォンシク…
左から李元國、黄琦、盧秉直(2000 年)