第 4 章    テコンドー組織発達の歴史的経緯
~朝鮮解放後の武道界史とテコンドーをめぐる情勢〜   ベトナム戦争終結


※ ベトナム戦争終結

韓国のベトナム派兵:韓国政府(朴政権)はアメリカからの参戦要請を受けて、1964年、移動外科医療団とテコンドー教官を当時の南ベトナムに派遣した(1962~歴代教官団団長:南太熙、ペク・チュンギ、チェ・ドンフィ、キム・ソッキュ、コ・ジェチョン、キム・ボンシク、チョン・ビョンギル、キム・スンギュ…)。これを皮切りに、ベトナム戦争と深く関わることになる。朴大統領はアメリカからの経済援助と引き換えに 65 年からはついに戦闘部隊を送り込み本格参戦。73 年に撤退するまで、657 人のテコンドー有段者(青涛館出身者)と 31 万人あまりの韓国軍兵士をベトナムに派遣した。

※ 2   韓国の南ベトナム派兵が決定された 64 年末当初、韓国の有力紙はこぞってこれに反対した。朝鮮日報は「ベトナム派兵と韓国」という連載記事を掲げ「これまで朝鮮民族は中国、日本などの長い侵略に苦しめられてきた。しかしいまだかつて他国を侵略したことはなかった」と報じ、「この派兵で北朝鮮を刺激し、ベトナムで朝鮮民族が再び戦う恐れがあるのではないか」と結んだ。朴大統領によって「聖戦」、「非常時」という名の下に言論統制が布かれ、韓国の新聞は、派遣軍と兵士たちの武勇伝で埋まるようになる。南ベトナムの韓国軍を批判し、ベトナム戦争に反対する者は非国民とされた。日韓条約反対闘争が激しかった六四年、韓国では統一論議がさかんだった。日本との政治、経済関係を強めるよりは、統一を現実的問題として考えようではないかという意見は政府与党にすらあった。しかし統一論議もタブーとなった。

※ 3   ベトナム戦争時、派兵韓国軍の司令官が全斗煥(第 11、12 代大統領)、ベトナムで軍の指揮にあたったのが盧泰愚(第 13 代大統領)だった。

※ 1971年
4月6日、第 7 代大統領選挙で朴正煕当選。
12月6日、朴大統領、国家非常事態宣言。
12月27日、国家保衛法、国会にて通過。
1972年
10月17日、大統領特別宣言発表、国会解散、非常戒厳令宣布。
12月27日、朴正煕第8代大統領就任。維新憲法公布。
1974 ~ 75 年
大統領緊急措置 1 ~ 9 号宣布。
1974年

大韓テコンドー協会/1月12日、韓国国民学校テコンドー連盟創設。5月15日、 WTF 第1回国際審判講習会開催。8月7日、大韓テコンドー協会中央道場を(財)国技院として登録。10月18日、第1回アジアテコンドー選手権大会開催(ソウル)。12月31日、文教部令第350号により高等学校体育教課過程にテコンドー種目採択。
ITF/第 1 回世界テコンドー選手権大会をカナダ・モントリオールにて開催。同年、崔泓熙 ITF 総裁は、11 月に第 4 次 ITF デモンストレーションチームを引率し、ドミニカ、コロンビアでデモンストレ-ションを行い、12 月にはベネゼイラ、スリナム、クラカオにて現地師範を集め教育指導。

1975年

WTF/8月28日、第2回世界テコンドー選手権大会開催(ソウル)。10月8日、WTFは国際競技連盟総連合会(GAISF)に加入して国際的なスポーツとして承認される(カナダ・モントリオール)。

同年ITFはオーストラリア・シドニーのオペラハウスにてテコンドーのデモンストレーション行う。また、崔泓熙 ITF 総裁はギリシャ、スイスを含むヨーロッパを巡回訪問。

オランダ、アムステルダムで、第1回ヨーロッパテコンドー選手権大会開催。

1976年

WTF/4月9日、国際軍人体育委員会(CISM)へテコンドーを正式競技種目として採択(ソウル)。 ITF/崔泓熙総裁はイラン、マレーシア、インドネシア、そしてヨーロッパ各国を巡回しセミナーを開催する。オランダ、アムステルダムで、第一回ヨーロッパテコンドー選手権大会開催。

1977年

9月、崔泓熙 ITF 総裁は日本・東京で開催された韓国独裁政権を糾弾する大会に参席し、「テコンドーを個人の政治的道具と利用する朴正煕大統領の罪状を暴露」。そしてマレーシア、ニュージーランド、オーストラリア、スウェーデン、デンマークを巡回訪問し各国の協会設立を促した。

1978年

5月、崔泓熙 ITF 総裁はマレーシア、パキスタン、南アフリカを巡回訪問後、第5次ITFデモンストレーションチームを引率し、スェーデン、ポーランド、ハンガリー、ユーゴスラビアにてデモンストレーションを行う。

※ 1978 年 12 月 27 日、朴正煕第 9 代大統領就任。

1979 年

崔泓熙 ITF 総裁はノルウェー・オスロにて東西ヨーロッパを統一した統一ヨーロッパテコンドー連盟を結成させた後、スウェーデン、デンマーク、西ドイツ、フランス、グリーンランドを訪問。同年 11 月に第 6 次 ITF デモンストレーションチームを引率しアルゼンチンを指導訪問。

※ 1979 年韓国
10月18日、釜山に非常戒厳令宣布。釜馬民衆抗争。
10月26日 朴正熙大統領、金載圭KCIA部長(中央情報部長)に暗殺される。全国に戒厳令宣布。
11月24日 ソウルで140名の民主運動人士が逮捕され、拷問。
12月12日 保安司令官・全斗煥将軍、戒厳司令官・鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕。陸軍第3軍司令部、陸軍本部、国防部を襲撃し、国防長官を拘束。粛軍クーデター「ソウルの春」。
1980年

WTF が国際軍人体育委員会(CISM)に加入。7 月 17 日、モスクワで開かれた第83回IOC総会にて世界テコンドー連盟とテコンドー種目が承認される。
11 月 1 日、第 1 回 CISM テコンドー大会開催(ソウル)。 ITF/崔泓熙氏が北朝鮮政府の要請を受け第 7 次 ITF デモンストレーションチームを引率し初めてテコンドーを故郷の地に紹介。(崔泓熙氏の出身地は咸京北道)/朝鮮テコンド-連盟開設が可能となった。
同年、11 月、18 カ国参加の第1回テコンドー東西統一ヨーロッパ選手権大会がイギリス・ロンドンにて開催。

第7次ITFデモンストレーションチーム/ピョンヤン
※ 1980 年韓国

4月14日   全斗煥将軍、中央情報部長を兼任。

4月中旬   労働者、学生の民主化要求デモ高潮。

5月15日   ソウルで5万の群集がデモ。

5月16日   新軍部、戒厳令を全国に拡大。光州で3万の群集がデモ。

5月17日   全斗煥将軍、すべての政治活動を禁止し、国会強制解散、大学を封鎖、金大中ら民主人士と学生を逮捕(非常戒厳令を全国に拡大)。

5.18 光州民衆抗争(5.18~5.27)

5.18 光州民主化運動は、1980 年 5 月韓国全羅南道道庁所在地光州市の学生や市民が民主化を求めて軍部隊と衝突した事件。当時の韓国政権では「光州事件」、朝鮮民主主義人民共和国では「光州大虐殺」と呼ぶ。市民の決起は 5 月 18 日に始まり、抵抗は 5 月 28 日まで続いた。この間、光州は軍事封鎖され、電話も遮断、軍の武力鎮圧により多数の市民が死傷した。この事件を徹底弾圧した全斗煥将軍はやがて自ら大統領の座に上り、軍事独裁政権を継続した。韓国軍に指揮権をもつ米軍が軍の弾圧を支持したため、韓国における反米感情を煽る結果ともなった。

事件の経過
  • 5月18日 大学封鎖に対し、光州で全南大学校の学生ら1,500名が抗議のデモ。特別攻守部隊が光州に派遣され、鎮圧に当たり、数十名の群集が死亡。
  • 5月19日 光州を封鎖し、軍が大規模な武力鎮圧を実施。老人、子供を含む多数の市民が殺害される。

  • 5月20日 20万以上の市民が軍との抗争に参加、バスやタクシーを倒してバリケードを築く。軍、鎮圧に火炎放射器を使用。

  • 5月21日   30 万の市民が抗争に参加。軍、光州の電話線を切断。市民、全羅南道庁を占拠。

  • 5月22日 金大中、煽動罪で逮捕。数万名の軍隊が光州を包囲。「市民收拾対策委員会」が組織され、政府と談判開始。しかし、抗争隊指導部は政府との妥協に反対。

  • 5月23日 15万名の市民大会開催。

  • 5月24日 10万名の第二次市民大会雨の中で開催。

  • 5月25日 5万名の第三次市民大会。「光州民主民衆抗争指導部」結成され、最後まで戦うことを決議。

  • 5月26日 戦車市内に侵入。市民は道路に横たわって進入を阻止しようとしたが、ひき殺される。

  • 5月27日 米国国務省、「韓国の無秩序と混乱を座視できない」と声明し、韓国軍による徹底鎮圧を支持。数千名の軍隊が戦車とともに市中心部に進出、多数の市民を殺害。

  • 5月28日 数千名の市民が逮捕・拘留され、金大中に内乱罪と国家一級保安法違反による死刑判決。

  • ~ 9 月 1 日、全斗煥、第11代大統領に就任。

 
   
 
 
1981年

WTF/1月15日、国際スポーツ体育評議会(ICSPE)にWTFが加入。WTF 日本テコンドー連盟設立。 ITF/1981年には、第1回テコンドー太平洋地域選手権大会がオーストラリア、クィーンズランドで開催されるなど、著しい発展を遂げる。
南太平洋テコンドー連盟とオーストラリアテコンドー連盟を結成。同年、崔泓熙 ITF 総裁は第8次ITFデモンストレーションチームを引率し6月に日本・東京を訪問。8月、アルゼンチン・レシタンシアで ITF 第3回テコンドー世界選手権大会開催。
10月に北朝鮮を訪問。11月にオーストリア・ウイーンにて開催された海外キリスト教会会議で南北朝鮮のテコンドー師範たちによる演武会を披露した。
※ 1981年3月3日、全斗煥、第12代大統領に就任。第5共和国出帆。

1982年

6 月、 ITF はカナダにて北米テコンドー連盟結成。同年、崔泓熙 ITF 総裁はプエルトリコ,グリーンランド、イギリス、西ドイツ、オーストリア、デンマーク、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、フィンランドを指導のため訪問。

1983年

ITF   日本国際テコンドー協会設立   初代会長 チョン・ジンシク

1984年

WTF が OCA 総会で第 10 回ソウル・アジア競技大会から正式競技種目に採択。崔泓熙 ITF 総裁は IOC 本部を公式訪問しサマランチ会長と会談/ITF と WTF の統合問題について意見提出。

ITF スコットランド・グラスゴーにて第4回世界テコンドー選手権大会を開催

1985年

5 月 ITF が本部をオーストリア・ウイーンに移転(これを機に共産圏でのテコンドー普及が容易になった)。また、崔泓熙氏の創始したテコンドーの完全完成版百科事典完成。

模範立ちを演ずる崔泓熙 ITF 総裁
※ 完全完成版百科事典は北朝鮮で出版された。

北朝鮮ではどんな出版物であろうと金日成主席の肖像画や大きな文字で書かれた金日成という三文字が入らなければ出版できないということが常識となっていた。
北朝鮮で 1985 年テコンドー百科事典が出版されたとき、その内容に対しクレームをつける者が多くいた。主体思想に関する言葉が一切見当たらず、また金日成親子に対する言及も一切されていないことが問題だとし、百科事典の冒頭に「偉大なる首領金日成同志と親愛なる指導者金正日同志を支え朝鮮の統一と世界平和のために邁進しよう」という文句を入れろという高級官僚からの要請があった。崔総裁は断固として最後までこの掲載を断り続け、一時は出版中止となる可能性も浮上したが、無事に完全完成版百科事典(全 15 巻)を世に送ることができた。

参考資料:崔泓熙総裁回顧録
1986 年

WTF /7 月、米国コロラド州で第1回ワールドカップ・テコンドー大会を開催。9/30 ~ 10/3、第 10 回アセアンゲームに正式種目として参加(ソウル)。 ITF/中国にテコンドーの普及開始。ギリシャ・アテネにて第5回世界テコンドー選手権大会を開催。

1987年

WTF テコンドーが 88 年ソウル・オリンピック大会で公開種目決定

※ ITF/北朝鮮でテコンドーの映画が上映された。

当時の映画の冒頭で「テコンドーは高句麗時代から引き継がれてきたものが1945年、開放と同時に偉大なる首領金日成同志と親愛なる指導者金正日同志によって発展され、今日全世界に広まっている・・・」というシーンから始まった。
この映画を観た崔総裁は夜も眠れず、当時北朝鮮のテコンドー委員の幹部たちを呼び集め、この映画の不当性を強く抗議し、責任追及を行った。
崔総裁は当局に「北朝鮮のテコンドーは1980年10月に私が始めて北朝鮮へ入ってから広まったことを世界のテコンドー会員たちの誰もが知っていることだ」と主張した。また、当時韓国も「新羅時代からあったわが国固有の武道」と宣伝しているところへ北朝鮮もこのようにテコンドーを宣伝するならばもう再びこの北の地を踏むことは無いだろうと告げた。こうして断固と望むやようやく映画の内容が修正されることになった。
また、北朝鮮労働党のある高級官僚が崔総裁に対しテコンドー精神よりも主体哲学のほうが良いのではないか?と迫ったことがあった。チェ総裁は「全人類に属しているテコンドーに主体思想を加えることはできません」と答えたが、引き下がらない高級官僚はさらに「主体テコンドー」としたらどうだと強腰で迫ってきた。
チェ総裁は「あなたひとりで主体テコンドーをしなさい」と台詞を残して帰った。

参考資料:崔泓熙総裁回顧録
1988年

WTF/9 月、第 24 回オリンピック大会(ソウル)で公開種目開催。 ITF/ハンガリー・ブタベストにて第6回世界テコンドー選手権大会を開催。

1989年

ITF/北朝鮮・平壌(ピョンヤン)にて開催された第13回世界学生、青年祝典にてテコンドー模範競技を開催。

1990年

ITF がソビエト・モスクワにテコンドーの普及開始。 ITF カナダ・モントリオールにて第 7 回世界テコンドー選手権大会を開催。

※ 1991 年 12 月ソ連崩壊 

1992 年

WTF/テコンドーが第 25 回オリンピック大会(スペイン・バルセロナ)公開競技となる。 ITF/北朝鮮・ピョンヤンにて第 8 回世界テコンドー選手権大会を開催。

1993年
※ 韓国

金泳三氏が大統領に就任(第 14 代)。/韓国で建国後、初の文民大統領となった

1994年
北朝鮮

7 月 8 日 金日成死去

IOC(パリ・IOC第103回総会)により WTF テコンドーが 2000 年シドニー・オリンピック大会で正式種目となることが承認される。第 12 回アジア大会(広島)で正式種目として参加。

ITF/マレーシア・クアラテレンガヌにて第 9 回世界テコンドー選手権大会を開催。

1997年

ITF/ロシア・サンクトペテルブルグにて第10回世界テコンドー選手権大会を開催。

1998年
※ 韓国

金大中氏が大統領に就任(第 15 代大統領)。

国際体育評議会(ICSPE)に WTF が加盟。

1999年

WTF/第13回アジア大会(タイ・バンコク)に正式種目として参加。

ITF/アルゼンチン・ブエノスアイレスにて第11回世界テコンドー選手権大会を開催。

2000年

WTF/2000年シドニーオリンピックにて正式種目として競技が進められた。

ITF/日本・東京にて第1回アジアテコンドー選手権大会を開催。

  

※ 同年 6.14 平壌にて金大中大統領(韓国)と金正日総書記(北朝鮮)による南北首脳会談実現

2001年

7 月 6 日 ITF/イタリア・リミニにて第12回世界テコンドー選手権大会および第 13 回定期総会開催。総会では次期総裁を崔泓熙総裁の実子である崔重華事務総長に決定。また、崔泓熙総裁は7名の諮問委員選出。

また、次回世界大会および定期総会の場所をポーランド・ワルシャワに決定。

8 月 24 日金雲龍WTF総裁 / IOC 委員と張雄(北朝鮮)IOC委員とが ITF・WTF 共同競技について論議。

ITF/9 月 1 日 崔泓熙総裁が総会に代わる特別執行委員会開催。 ITF 総裁は以下の問題に対し諮問委員たちの同意を得なければならないことを決定。

  • 事務総長および連盟参謀の任命
  • 7 段以上と各国協会長の除名処分、テコンドー技術および競技規定の補強、または改正
  • 連盟本部の移転
  • 事業および連盟の予算策定
  • 国と国との間で起こるテコンドーの紛糾
  • 委員の任期は 6 年とし、任期満了後の委員の選出は総会にて行うことを定めた。

ITF/9 月中旬 崔重華事務総長がカナダ協会のクリント・ノーマン会長の承認なしに総会を招集。副会長のスタンリー 5 段を会長に選出した。この行為は越権行為だと激憤した多くの師範たちが崔泓熙総裁に対し崔重華事務総長の解任を要求。また、イタリア総会での次期総裁に関する決議は無効だと主張。

以下 崔泓熙総裁の回顧録より抜粋

「… 9 月中旬からジュンファの非倫理的で無分別な行為はより酷くなり、露骨になった。

私が任命したティボロ弁護士を通じ、くだらない言い掛かりをつけては私を苦しめた。

彼はガララガ 7 段に対し 2 年後は崔重華が総裁になるので、これからは連盟の支持は無視し、崔重華事務総長の支持だけに従えとした点、カナダテコンドー協会の運営に干渉を始め、クリント・ノーマン会長の承認もなしに総会を招集し、自分の心服である副会長スタンリー 5 段を会長に選出した越権行為などがそれだ。」

ITF/10月25日トロント 崔泓熙総裁は崔重華事務総長の越権行為に対する対策として側近者会議を招集。

2002年

ITF/1月12日ウイーン 崔泓熙総裁は特別総会を開催。加盟国の54カ国(加盟1/3を上回る)の代表者と連盟諮問委員のほか執行委員が参席。

崔重華事務総長解任

以下 崔泓熙総裁の回顧録より抜粋 

「総会前日、ジュンファ(崔重華事務総長)は事務次長のトム(トーマス・マッカラム事務次長)に対し暴行を加え騒動を起こした。このことによって警察から取り調べを受けるなど、はじめから周囲の雰囲気が騒がしくなった。一方、代議員でもないジュンファ側に立つ10余名が各国から集まり、あの高級なヒルトンホテルを宿に定め、しきりに出入りしながら総会に影響力を行使しようとした。しかし、彼らは参席資格も持たない者たちだった。にもかからわず総会当日、事前に会議室を占拠していたため、警察を呼び全員追い出した。これまでジュンファは事務総長だから参席が可能だった。

私が式場へ歩いて入ろうとしたときだった。みんな起立して挨拶をするのにジュンファだけが私をじっと見つめていた。会議が始まるとジュンファは前に出てこのように主張した。「この会議はすべて北朝鮮から費用が賄われている。この総会は不法な会議だ!明日私が別に会議を設けるので来る者がいれば来てくれ!」と内紛を助長する発言をした。

しかし、誰が彼に従うだろうか、なぜジュンファは現実を直視できず一人で破滅の道を歩んでいるのか私には不憫に見えるだけだった。ジュンファの無分別な発言と行為に対し、参席した代表者たちが全員立ち上がった。彼らは ITF 事務総長職の即時解任を要求した。「たとえ御子息とはいえ総裁がこの問題を断固として決心しなければなりません。」として四方から見えない圧力を加えてきた。私は涙を呑んで息子の追放を承認するほかなかった。今総会の結果は冷静だった。先の7月にイタリアでの13回総会(リミニ総会)で決定した次期総裁引継ぎに関する件を一切無効とし、私を引き続き総裁として推薦したのだった。彼らは私が終身職として総裁職を全うすることを願った。しかし、私が最後までこれを拒絶すると規約通り任期6年を末期として満場一致で可決させた。しかし、2003年の総会の際、総裁職を辞退し、ただ終身名誉総裁としてテコンドーの統合に専念するという私の根本計画は少しも変わらない。」

ITF/6月15日ITF崔泓熙総裁が胃癌のためピョンヤンにて死去。享年84歳。

7 月 14 日 韓国の「大韓手搏道会」 黄琦/ファン・ギ氏(旧武徳館館長)死去。

WTF/7 月東京・代々木にて2002テコンドーワールドカップ開催。
同月  WTF 米国・テキサス州オースチンにて第 14 回世界軍人テコンドー選手権大会開催。

ITF/7 月 モンゴル・ウランバートルにて第 2 回アジアテコンドー選手権大会開催。

8 月   IOC 委員長が米国 IOC よりシドニー・オリンピック勝敗操作疑惑に対する調査依頼を受ける。
同月、釜山にてパク・ミョンチョル朝鮮IOC委員長と張雄(チャン・ウン)IOC委員、そして金雲龍 WTF 総裁 / IOC委員が会談。

2004 アテネオリンピックに北朝鮮テコンドー選手が参戦する意思を確認。 ITF・WTFルールの折衝を示唆。
また、GAISF(国際競技連盟総連合)会長でもある金雲龍氏は、張雄氏が代表を務める国際武道連盟を年内中に傘下加入させることを明らかにした。

9 月 釜山アジア大会開催。大韓テコンドー協会より選抜された演武団がピョンヤンにて公演
同月 北朝鮮ピョンヤンにてITF臨時特別総会が開かれITF新総裁に張雄(チャン・ウン)国際オリンピック委員会/朝鮮体育指導委員会第一副委員長が選出(以後チャン・ウングループとする)。

● 疑惑説
  • 各国の代表者に対し臨時特別総会の存在を告げないまま「故崔泓熙総裁の 100 日追悼行事」として召集。事実であれば規約違反となる。
  • 「臨時特別総会」を強行に開き、チェ総裁の「遺言」を根拠に新総裁を選出。多くの朝鮮語の出来ない代表たちを不十分な英語通訳で意図的に誘導したという疑惑がもたれている。

    ※ チャン・ウン氏入場時の拍手を投票の拍手とされ決定されたとする海外師範は実際に存在する)

  • 「遺言」に立ち会ったトーマス・マッカラム事務総長の談
    「チェ総裁は正常な意識で言葉を交わすことが出来ない状態であった。
    にもかかわらず英語通訳をする者の言葉があまりにも、覚えたセリフのように明確で信用しがたいものであった。」

10 月   朝鮮テコンドー連盟より選抜された演武団がソウルで公演。

11 月 7 日   ITF (チェ・ジュンファ派)2002 年 1 月にウイーンで開かれた特別総会を無効とした崔重華派メンバーがアルゼンチン・ブエノスアイレスにて第 14 回定期総会開催。崔重華氏が総裁に選出(以後チェ・ジュンファグループ)

2003年

5 月   ITF(チャン・ウングループ)頭書ピョンヤンで開催を予定していた第 13 回世界選手権および第 14 回定期総会をギリシャのテッサロニキに変更し開催。

6 月   ITF(反チャンウン派)/ポーランド・ワルシャワにて第 13 回世界選手権大会および第 14 回定期総会開催。先に開かれたピョンヤン臨時特別総会を規約違反のため無効だとする加盟国代表らが、定期総会にて総裁選を行う。そして、新総裁にカナダのトラン・トゥリュ・クァン師賢 8 段が選出される(以下トラングループとする)。

2004年

1 月   金雲龍 IOC 副委員長 / WTF 総裁 / 韓国民主党議員 / 

公金横領および不法外貨搬出などの容疑で拘束収監。

関連記事
東亜日報 - 2003年12月20日

金雲龍議員、家宅捜索で150万ドル発見
DECEMBER 19, 2003 23:21
by 李相録  (myzodan@donga.com buddy@donga.com)

ソウル地検特殊2部(蔡東旭・部長検事)は、国際オリンピック委員会(IOC)副委員長である金雲?(キム・ウンヨン)民主党議員が、自宅の金庫と銀行の貸与金庫などに保管してきた150万ドル相当の外貨を差し押さえたと、19日明らかにした。
検察の関係者は「10日金氏の自宅と貸与金庫などを家宅捜索する過程で、100万ドル相当の米貨が見つかり、造成の経緯と出所を調べている。ユーロ貨と円貨など、他の外貨まで合わせれば、発見された資金の規模が150万ドルにのぼる」と述べた。
検察は、金氏と周辺人物などの仮借名口座に対し、広範囲な追跡作業を行っている。
検察は、特に00年9月オーストラリアのシドニー夏季五輪が終わった後、IOCが世界テコンドー連盟に配当した収益金300万ドルのうち、一部を金氏が流用した疑惑についても取り調べている。
検察はまた、金氏が01年ころ大韓体育会会長と大韓オリンピック委員会(KOC)委員長を務めながら、大韓カヌー連盟会長とKOC委員を務めたアディダスコリア(株)会長の金ヒョンウ氏にアディダス製品の納品およびKOC委員の専任の見返りとして、5億ウォン以上の金品を先に要求して受け取ったことを明らかにした。
検察は同月末ころ、金氏を召喚して取り調べてから、容疑が認められれば刑事処罰する方針だ。
これについて、金氏側の関係者は「金議員が北朝鮮のスポーツ界を支援しようとした金と、IOC副委員長で活動して残った外貨を一時保管していただけで、不正な金ではない」と話した。

朝鮮日報 - 2003年12月26日

金雲龍氏が検察に自主出頭
 ソウル地検・特別捜査2部(部長検事:蔡東旭(チェ・ドンウク))は26日午前、事前召喚通知も受けずに検察に自主出頭した金雲龍(キム・ウンヨン/72)新千年民主党(民主党)議員が、“自首書”を提出した後、自宅に戻ったと明らかにした。
 金議員は同日、検察の召喚通知も受けずに弁護人と自主出頭し、テコンドー関連団体の公金横領など、一部の嫌疑を認めるという内容の自首書を提出し、自分の嫌疑に対する捜査を要請した。
 検察はしかし、「まだ、調査の準備ができていない」とし、金議員を即時自宅に帰らせた。今月30日頃に金議員を公式召喚し、調査する予定」とした。

朝鮮日報 - 2003年12月30日

検察「金雲龍氏、公金数十億ウォン横領」
 ソウル地検・特別捜査2部(部長検事:蔡東旭(チェ・ドンウク))は30日、国際オリンピック委員会(IOC)副委員長を務めている金雲龍(キム・ウンヨン)新千年民主党(民主党)議員が、体育団体の公金数十億ウォンを横取りし、家族とともに使用した疑いを確保、捜査を進めている。
 検察は前日の29日、金議員を召喚し取り調べ、多くの不法嫌疑を確認し、来年1月はじめに金議員を再召喚して調査することにした。
 検察関係者は「金議員の公金横領額は、少なくとも10億ウォン以上」とし、「公金を横取りして家族とともに使った疑いもあるが、金議員はそれを否定している」とした。

朝鮮日報 - 2004年1月16日

金雲龍氏
 ソウル地検・特別捜査2部(部長検事:蔡東旭(チェ・ドンウク))は16日、召喚通告を受けた国際オリンピック委員会(IOC)副委員長が召喚に応じないことから、逮捕を慎重に検討している。
 検察は金副委員長が入院治療を受けている延世(ヨンセ)大学・セブランス病院に捜査官を派遣し、医療陣を通じて健康状態を確認した後、逮捕令状の執行を決定する方針だ。朝鮮

朝鮮日報2004年1月7日

「金雲龍氏、企業や政界から100万ドル募金」
 国際オリンピック委員会(IOC)副委員長の金雲龍(キム・ウンヨン)民主党議員が2001年5月、有力な政治家と企業家などから100万ドルを後援金として受け取り、同年6月にはサムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)会長から7億ウォンの後援金を受け取ったことを検察で陳述したと、東亜日報が7日報じた。
 ソウル地検特捜2部は6日、「金議員が昨年末に検察の召喚調査を受けた時、100万ドルの後援金を受け取り、李会長からも7億ウォンをもらったと陳述した」とし、「最近捜査チームに送った釈明書にもこのような内容が含まれている」と、同紙は報じた。
 検察は金議員が後援金の名目で資金を受け取る過程に違法性はなかったかと、見返りがあったかなどを確認していると伝えられた。

朝鮮日報 - 2004年1月7日(水)

文化長官「金雲龍氏と対北送金協議なかった」
▲李滄東長官(イ・チャンドン)文化観光部長官は6日、「金雲?(キム・ウンヨン)国際オリンピック委員会(IOC)副委員長の110万ドルの対北送金と関連、主務部処の文化観光部と協議したことがない」と明らかにした。
 李長官はこの日、新年の記者懇談会で「(体育など文化観光部の所管業務と関連)昨年、対北送金を承認するよう要請されたことはない」とし、「金雲龍副委員長の主張が事実かどうかは捜査しなければ分からないが、これと関連、文化観光部と事前に相談したことはない」とした。

朝鮮日報 - 2004年1月7日

「金雲龍氏、IOC委員長選挙当時260万ドル募金」
 ソウル地検特捜2部は7日、国際オリンピック委員会(IOC)副委員長の金雲龍(キム・ウンヨン)民主党議員が李健熙(イ・ゴンヒ)サムスングループ会長などから260万ドル規模の資金を募金したという陳述を確保したと伝えられた。
 金議員は昨年末の検察調査で、2001年7月のIOC委員長選挙当時、同僚のIOC委員 李健熙会長から7億ウォン、国際柔道連盟(IJF)会長の朴容晟(パク・ヨンソン)会長から1億ウォンを後援金として受け取ったと陳述したと伝えられた。
 また、金議員側関係者は「金議員が当時、延世(ヨンセ)大学同門など知人20人余から数万ドルずつ計100万ドル未満を、また、日本の企業家や東南アジアのスポーツ界関係者などから100万ドルを後援金として授受した」と伝えた。

朝鮮日報 - 2004年1月14日

検察召喚控えた金雲龍氏が突然入院
 ソウル地検・特別捜査2部は14日、国際オリンピック委員会(IOC)副委員長である金雲龍(キム・ウンヨン)新千年民主党(民主党)議員が召喚前日の13日、血圧などを理由に入院したことから、召喚の時期と方法を再検討している。
 金雲龍議員は今月13日午前0時頃、延世(ヨンセ)大学・セブランス病院・心臓血管病院の集中治療室に入院した。
 病院側関係者は「血圧が高く、めまいを訴えている」とし、「心臓内科と神経科を中心に1週間程治療を受ける必要があると見られる」と話した。
 検察はまず金雲龍議員側に15日午前10時に出頭するよう改めて通告し、捜査官を病院に送って健康状態を確認している。検察関係者は「早急に検察に出頭するよう伝えた」と話した。
 検察は今月13日、裁判所から逮捕令状の発付を受けており、場合によっては令状を執行して金雲龍議員を逮捕する方案も検討している。
 検察は、体育団体などから25億ウォン以上を横領し、大韓オリンピック委員会(KOC)委員選任などと関連し5億3000万ウォンを受け取った疑いが確認されれば、金雲龍議員に対して拘束令状を請求する方針だ。
 検察は昨年末、金雲龍議員の自宅から20億ウォン程度の米ドルなど各種の外貨を押収しており、外国為替管理法違反の疑いもあると見ている。
 一方、金雲龍議員は今月 9 日、国会議員職を辞任するという記者会見を開いたが、国会には辞退書を提出していない。

朝鮮日報 - 2004年1月28日

金雲龍容疑者を拘束収監 38億横領容疑
 ソウル地検特捜2部は27日、国際オリンピック委員会(IOC)の金雲龍(キム・ウンヨン)副委員長をスポーツ団体の公金横領および不法外貨搬出などの容疑で拘束収監した。
 ソウル地裁はこの日、令状実質審査を経て「証拠隠滅と逃走の恐れがある」とし、検察が請求した事前拘束令状を発付した。
 検察によれば、金副委員長は過去4年間、国際団体の世界テコンドー連盟( WTF )と国際スポーツ連盟機構(GAISF)からそれぞれ26億ウォンと3億ウォン、国技院から6億ウォンと、計38億4000万ウォン余の公金を横領した容疑がもたれている。

朝鮮日報 - 2004年5月13日(木)

ソウル中央地検・特捜 2 部は 13 日、世界テコンドー連盟や国技院などの公金を流用した容疑で拘束起訴された金雲龍(キム・ウンヨン/国際オリンピック委員会(IOC)副委員長)被告に対し、懲役 7 年に追徴金 7 億 8,800 万ウォン余を求刑した。
 検察は同日午前、ソウル中央地裁・刑事合議 23 部の審理で開かれた結審公判で、「被告は職位を利用し不当な利益を手にし、家や銀行などに76億ウォン余の現金資産を確保するなど、国民を失望させた。また、スポーツ団体を私企業化し、神のような存在として君臨した」とした。
 検察は「被告は自分のすべての行為がテコンドー関係者のためのものだったと正当化しようとした。また、世界 IOC 委員会らに手紙を送り、自分が不当に処罰を受けていると偽の事実を流し、国の名誉を傷つけた」と指摘した。

2004 年

6月  WTF/辞任した金雲龍前総裁に代わり慶熙大学総長の趙正源(チョ・ジョンウォン)氏が新総裁に選出。
同月 ITF (チャン・ウングループ)マレーシア Representatives にて特別総会開催。

10月  ITF (チェ・ジュンファグループ)韓国テジョン(太田)市郊外のコンベンションセンターにて第 13 回世界選手権開催および第 7 回世界青少年大会開催。
※ チェ・ジュンファ氏は韓国へ入国しなかったため、大会を欠席。

11月  ITF (トラングループ)第一回テコンドーワールドカップを米フロリダのディズニーランド内で開催。

2005 年

6月  ITF (チャン・ウングループ)12 日、オーストラリア・クイーンズランド州カラウンドラ市 15 回定期総会開催。

7月  ITF (トラングループ)ドイツ・ドルトムントにて第 14 回世界選手権および第 15 回定期総会開催。

10月 一昨年前から ITF 本部の占有権をめぐる争いがオーストリア・ウイーンにてトラン氏率いる ITF とチャン・ウン氏率いる ITF との間で展開されていたが高等裁判所で決着。トラン氏率いる ITF 側が法的に承認された。一方チャン・ウン氏側は直ちに上告するも棄却された。

11 月   トラン氏率いる ITF の傘下組織であるヨーロッパテコンドー連盟(AETF)が、法的に登録され、EU の各国において ITF の名称とロゴの独占的な使用が認められた。

2006 年

1月 カナダ国内で ITF トラングループ(崔泓熙総裁の時期に始まりトラン総裁が引き継ぐ形となった)と崔重華氏との間で争われていた ITF の商標をめぐる裁判で双方の和解が成立。